昭和45年10月10日 朝の御理解



 御理解 第81節
  「氏子十里の坂を九里半登っても安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうに降りたらそれで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ。」

 八十一節という、例えばここの数字で例えていうならば、八十一節云う八十二節、八十三節、八十四節と言う様に九十と言う所に一つの坂があるならば、又九十一節から又、二節三節という事になり百節という事に成る様にひと山、ひと山というか越して行く喜び、越していける楽しみ、私は信心はね、そういうものだと思う。云う様なあれは確か 徳川家康が徳川家の家訓の中に言ってあります事に。「人生は重い荷物を担いで旅をするようなものだ。」と言った様な事を云っております。
 これは何か只、この世は苦の世だ、苦の世界だと言った様なものでありますね、けれども教祖はそうは仰ってない。登り切って向こうへ降りるという。 例えば八十一節と私は今日はこの八十一節という事に感じたんですけれどもね、八にプラスする第一歩という事に八というのはお互いが願ってやまない所の末広がりに、広がって行くという事、繁盛。それに又プラスする。繁盛に又繁盛のだから八十一節といういわゆる一節がいよいよその繁盛の第一歩であるならば。
 又それをひと山ひと山越えていく楽しみがあって、そこへ又九十一節となり、百節という事になって行く。昨日ある方の事を私はお願いさせてもらいよったら「千坂兵部」という事を頂いた。あれは忠臣蔵に出て参りますね、千坂兵部というのは吉良方の家老のような人ですね、それでいて赤穂浪士の上にも思いを掛けるという立場にある人ですね。私はその千坂という事、千の坂と書いてある。だから私共は一生という事になったら、もうそれこそ沢山は坂を越えて行くのだ。
 その沢山な坂を越えて行って、一生を全うするんだ。一生の間には、矢張り千ものいわば坂がある様なものだと。徳川家康はそこの所を、この世は重い荷物を担いで旅をする様なものだと言った。私共はそういう例えば、人生航路の上に於いてもです、沢山な坂をね向こうへ上り詰めて行こうとする姿勢、十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬと、安心してよかろうはずがない。九里半登って十里を登り切る。
 そして降りるそして又次の坂沢山な坂。そこに段々人間、いわゆる生きて行く力と云うか、信ずる力というか力が養われていき、高められて行く、自分という者のいわゆる確信を持っての生活というか、それが出来る様になって行くんだ。ところがね、いわゆる成功しない人、その一つの山ですら、よう越さん。いつも九里半のところで後ストーンと下へ戻ってしまっておる。
 だから同じところを、グルグルいわゆる堂々回りをしとる。惜しい事じゃ。どんなに九里半を素晴らし、いいわゆる勢いとか、上り方をして九里半までは登るけれども、もうそこに頂上が見えておるというところで、元に戻ってしもうたんじゃ、こんなつまらん話はないね。そこには矢張り信心、三代金光様がおっしゃっておられる様に、信心には辛抱する事が一番大切で御座いますと。
 もう信心修行させて頂く者の上には、辛抱の出来ない人は、だから本当のおかげにならん。おかげは一里から九里半までは、おかげを受けておる。何時の場合でも。けれども九里半のところから、ストーンと落ちてしもうとる。そういう事が御座いましょう十里を登り切って、向こうへ降りたら安心じゃ。気を緩めるとすぐ後へ戻るぞと、気を緩めると直ぐ後に戻ってしまう。
 それが信心なんだ気をゆるめると直ぐ後に戻ってしまうと。だから一里から、九里半と云うまではどんなにあっちは素晴らしいというものを持っておっても、後の半道の所で、もうそこへ頂上が見えたという時にストーッと信心を落としてしまうなら、何時も何時も繰り返し繰り返し、同じ所ばかりを通らなければならないという事が言えます。惜しい、それを登り切らせて頂いて初めてです。頂上を極める楽しみというか。
 又それを下る所でもです。先日森部の高山さんがお夢を頂いたのをお届けしておられましたけれど、ね、頂上を極めて向こうへ降りる所だそうです。下り坂だから楽だろう、けれども、もうどうしてこういう下り坂を下れるだろうかと思う様なその、ま絶壁の様な所ばかりだと、とてもこれじゃー危のうして降りられん、と。それでも矢張り下らなねければ目的地に行けんから、とにかく神様に、お願いして下ろうと思うたら、そこに手がかりがあり、足がかりがあり、楽に降りていけれる所があった。
 中には丁度、昔、篠栗さんにお参りした時に、岩と岩の間と普通は悪かつは通られんと言った所が、岩と岩があるそうですね篠栗さんには、こう寄っておってそこを抜けて行くとくっ付いておる、そう言う所もある。所が降りる段になったら、スーッと降りていけれるというのである、必ずそこには、手がかり、足がかりがあるのである。そういうおしらせを、お夢を頂いたというてお届けをしておられます。これは登る時に、於いて同じであります。とてもこんな険阻な山に登れるだろうかと、思うごとある。
 信心させて頂く者に姿を信心のない者から見たら、とてもあげな事は出来んというでしょうが。はぁ毎朝毎朝四時から、もう朝も四時半も 四時も護持もしかも何十年と続けさせて参り御座るげな、とても私どんあげな事は出来ん。というのは下から見て険阻な山道に向かっただけの様なものことなんです。実際お拝せて頂くと、本気で登ろうと思えば、道もつく。本気で登ろうと思えば、そこには手がかりがあってです、足を置く所があり、上に捕まる所があり、それを登って行く。
 もうその楽しみと云うか、その喜びと云うか、登ってみた者でなければ分からん。云わば味わいというものがあるのが信心だと。皆さんでもそうです。椛目時代から信心の稽古させて頂いて、しかも毎朝毎朝二十何年間お参り続けておられる方が沢山あります。それをそんなら、信心の無い人が見るとです、とてもあげな事は出来んと、こう云ったろう、けれども出来ておる、しかも楽しゅう有り難う出来ておる。
 頂上を極めた。そんなら降りる所は楽かと云うと降りる所も楽ではない。とてもこげな坂がどうして危なくて降りられんと思うごたるけれども、矢張り下らなければ出来ん。所がそこには下ろうと思えば、危なくなくて下れれる、いわば手がかり、足がかりがあって、もうここはと云う様なその岸壁にと云うか、岩にぶつかったという様な所にでもです、その岩に穴がほげて、その穴の中をかいくぐる様にして行っておる、お知らせを頂いたというのである。
 高山さんは。だから信心とはそげな事。だから、それがもうね有り難うして有り難うして、それが楽しゅうして楽しゅうして、ひと山もふた山もみ山も越えてゆけれる、一生それが繰り返させて頂けれる所にです。これが信心が身に付きよるんだ。信心の徳とはこんなものであろうかと、自分の心の内容が清まって行く、高められて行くというか、そういう幸せ、そういう楽しみがある。
 信心とはそういうものなんだ、けれどです。それこそ十里の坂を九里半登っても、と、こう仰る、もう九里半位は、見事にすーっと行く人がある。所がもうそこに頂上が見えるという時には、やっぱきつい事はきついです。まあそこには一つの誘惑があるというか、まあ色んな問題があるというか、するとそこから信心をピシャーと落としてしもうて、又一里の所さ戻ってくる人がある、惜しい。
 もういつ迄たっても、もう一生かかったっておんなじ一里から、九里半の所を行ったり来たりしとらんならん。そういう事ではつまらんでしょうが。もうきつい、迷わなければならない様な事を聞いたり思うたりする時こそです、もう頂上はそこだという時なのですから、そこの所を大事にしなければならない。だからこそ、三代金光様が仰る様に信心には辛抱する事が一番大切で御座います、と。
 その辛抱こそがいうなら身に徳を受ける修行なのだ。皆さんここん所をね本気で一つ大事にして、それをいわば昨日頂いた千坂兵部じゃないけれども、それこそ千の坂も越して行くと言う所に、私共の人生信心がある人生がある。そこに生きがいがあるどの様な場合でも、後へ下がるんじゃ無い。とにかく前向きの姿勢をいわれる前の方へ。いわゆる坂という事を、一つ難儀と致しますならば、その難儀のたんびに人間が出来て行きよる。その難儀のたんびに強い信念が培われて行きよる。
 それが楽しいじゃないですか。そこを分からせてもろうて、信心の本当の喜びと云うのはあるとこう思う。ですからやっぱり信心が器用なというだけではいけません。それこそウサギと亀の走りくらべじゃないですけれども、ぼちぼちでもいい。実意丁寧を極めながら、実意丁寧とはこんな事だろうか、実意丁寧の有り難さを身にしみじみ感じさせて頂きながらです、一歩一歩堅実に進んで行こうとする生き方が、必ず勝利を得る。
 笑いよった例えばウサギが途中でちゃんと昼寝をする、ですから、何時の間にかそののろいはずの亀に越されてしまっておると言った様なね、事のない様な信心を、心掛けたいお互い。信心の徳というものは、確かにそこの所を辛抱しぬく信心から生まれて来るんだ。徳川家康が云うておられる様に、人生は重い荷物を担いで、歩く様なものであるならば、こんなにじゅつない事はない。苦しい事はない。似た様だけれどもいわば教祖の教えておられるのは、そうじゃない。
 いよいよいわば繁盛の道、いよいよ高められる道、自分の心に、いわば手応えのある道、これがお徳というものであろうかと、自分にも感じさせて頂けれる道。いわゆる、私共が信心でいう坂を、登って行くという事は、八十一節であるという事を、一つ心に思うとかにゃいかん。八はいよいよ、繁盛して行くという意味でしょう、末広がりで。坂があるたんびに必ず、プラスして行くんだという事。難儀があるたんびに、一段ずつ高められて行くんだという事。
 いわゆる一節である、もう繁盛の第一歩なのだ。だからそこん所をあでやおろそかに出来ない。そこん所をよし苦しかっても辛抱していって、頂上を極める楽しみというか、向こうへ降りきった所の喜びというか、そういうおかげが受けられる信心をお互い目指させてもらわにゃならん。成る程、登るという事も、下るという事もそれはそれに取り組もうとしなかったら、実に険しい事であり、難しい事のようかに見えるけれども、実際登る気になってみると、信心とは此の様にも楽しいものだ。
 此の様にも有り難いものだという事になる。 それは登っても下っても同じ事が言える。そこにはちゃんと登れようはずもない所に、登れる道が付いて来るし、下ろうと思えばそこに、手がかり、足がかりが得られて行くというのが、信心の私は修行だと思う。九里半登っても安心してはならぬ、もう信心をこんしこ体得したから、もうこれでよかという事は決してない。矢張り一生が修行じゃとこう仰せられる。けれどもそれは一つひとつ体験をふんまえての、又次の坂であり、やっぱり楽しいものである。
 気を緩めると直ぐに後に戻るぞと、信心とは、そんなものだ。けれども私は思うのにね、そういう風に登っていく。いわゆる千坂兵部じゃないけれども、沢山な坂をですね、どんな場合でも、いわゆる前向きの姿勢を持って進んで行くという人が、信心をしておる人の中にも沢山おるけれども少ない。それを堂々回りばっかり致しまして、というのがそれなんだ。おかげ頂かんじゃない、堂々回りの所のおかげを頂きはおる。頂いちゃ落とし頂いちゃ落としというのである。
 つまらんでしょうが。いわゆる最後の九里半から十里に向かっての半道の所を大事にしなければいけません。それでどういう事が言えるかというと、例えば徳川家康は一生を重い荷物を担いで旅する様なものだと云い、あれは林芙美子さんでしたかね、苦しき事のみ多かりきと言った様な詩を残した人がありますね。自分の一生というものを振り返ってみると、苦しい事ばっかりだったというのである。私はお道の信心はどういう事であるかというと、一生を振り返るときに。
 もう実に喜ばしい、楽しい事ばっかりだったという事になるのじゃないでしょうか。例えば難儀という一つの坂を、成る程いわゆる難儀その一つひとつの坂がみんな私をここ迄高めくれる所のものばっかりであったんだ。しかも難儀と思うておった事は、難儀ではなかったんだ、と言った様な事が分かって来る。しかもあの坂をようも登ったと思うごとあるけれども、あの坂下りをようも降ったと思うごとあるけれどもそこには、神様のいわゆる御守護の中に登れそうもない所を。
 神様のおかげで登らせて頂いておったんだと云う実感、只、あるものは有り難い、もったいないだけである。そういう一生を全うするという事がです、私は信心だと思う。それに九里半登って、あと半道の所で、何時も失敗して、元へ戻っておったら、その味わいはとうとう味われんなりに、済んでしまわなければならんじゃないですか。だから私は本当に成る程、一生が修行だ。一生が修行だという事は、修行と云う事は自分の新しい道が開かれたり、新しい事が覚えられたり。
 新しい力が加わって行くという、だからこそ修行なのだ。同じ修行しとる訳じゃない。段々高度な修行段々有り難い修行、が出来て行くという所に私は八十一節があるとこう思いますね。そういう信心を一つお互い目指さしてもらいそういう生き生きとした、いわゆる生きがいのある信心を一つ身に付けて行きたい。本当に身につけて行きたいこれだけもろうたら、もうそれでよかというものではなくて、おかげはどこまでも八十一節八の字にプラスして行く。いよいよ繁盛の上にも、繁盛というおかげを目指しての信心を頂きたいと思いますね。
   どうぞ。